変化が訪れる時

モノゴトにおいて、大きな変化を起こそうとするならば、その「機」を掴むチカラというか、感性が必要なのではないだろうか。

「勉強をしたい。学びたい」という熱い意欲をもった生徒がいて、それに応じられる教師とがいて、両者が揃って初めて変革の萌芽が生じうるわけです。禅の世界では、啐啄同時というらしい。

鍼灸治療でもどうやら、同じことがいえます。
みなさんの、「この状態から、どうにかして抜け出さなくては」という意志と少しの自助努力
それに応じ切れるだけの治療家の力量

二つが出会う時に、通常では起こり得ないような大変化が起こりえるわけです。おんぶにだっこ、または依存関係の中からはこのような変化は生まれません。

鍼灸治療と養生について、連続して話をしてきましたが、同じことです。治療と養生、二つが上手くかみ合わさるとき、普通では起こり得ない変化が起こり得る

それは奇跡でも魔法でもなく、起こるべくして起こる必然の出来事であり、その意味では普通の事なんですが、普通ではないという。。。

そういう変な、といいますか、変化が起こります。

つまり、「お金を払うから任せた。あとはあんたが治して」でもいいんですが、委ね方といいますか、医療に罹る側の作法や心得も大切なのですが、そういうお話はウケが悪い。またの機会に。

400,waremokosou

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