いまここで鍼をするということ

毎年8月15日に想うことがあります。
いや、この日でなくても。です。

いまここに、ぼくは生かされているのだということを思わずにはおられない。

今日も、僕が鍼灸師として営んでいられるのは、先人たちのお蔭であり、今日は8月15日。終戦記念日でした。

あの時代にも、東洋医学を学ぶ人はいたはずです。

学生もいれば、これから社会で腕を振るうという段階にいた者、大勢の患者や弟子を残して戦地へ赴いた者。…多くの人々と思いが、戦禍に巻き込まれ、志半ばで散っていった。

そんな姿が大勢あったはずなのです。彼らが生きていたら、どれだけの人々の福音となったでしょうか。

もっといえば、歴史上、大勢の名もなき人々の想いや犠牲があり、東洋医学が遺産として残されているのです。いま、ここに。

ぼくは、その想いを受け取ってしまった。(勝手にだけど)

視えないけれど、ぼくの背後には、そういう背後霊が推定10万人は憑いている。たぶん。

学生の時分、そんな事をよく思っていました。

誤解を招きそうで表現が難しいのですが、そういう若人たちの声が、聴こえるような気がするのです。

声なき声に、耳を傾けることを忘れてはならない。

僕は、彼らの果たされなかった大志も、祈りも、無念も背負って鍼をしている。学び続けている。つもりです。

僕がこの社会で生きて、鍼をし続けるということ。それは、彼らが僕の中で生き続けるということ。

それが僕にできる、唯一の鎮魂であり、祈りだと思っています。

僕にできることは、それだけです。

僕は生涯、鍼を立て続けます。

立てる

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