いまここで鍼をするということ

いまここに、ぼくは生かされている。
特にそう実感させられる、そんな一日があります。

今日は8月15日。終戦記念日でした。

戦時中、あの時代にも東洋医学を学ぶ人はいて、多くの鍼灸師たちが戦場へ送られていったことでしょう。

まだ修行中の初学者もいれば、いよいよこれから世に出て腕を振るう段階にいた者、大勢の患者や弟子を残して戦地へ赴いた者。…多くの人々と思いが、戦禍に巻き込まれ、志半ばで散っていったことでしょう。

彼らが生きていたら、どれだけの福音となっただろうか。

もっといってしまえば、鍼灸数千年の歴史のなかでは、幾多の無名の人々がいたはずで、彼らの想いや犠牲があり、今日の東洋医学が残されている

技術を発明してくれた人がいる。
それを伝えてくれた人がいる。
引き継いでくれた人がいる。
師の言葉を文章化してくれた人がいる。
散逸した古医書を集め、校正してくれた人々がいる。
それらが戦火から免れるよう、命を懸けて奔走してくれた人たちがいる。


そうして、今日に鍼灸医学を繋いでくれた人々が大勢いたはずです。

ぼくは、その想いを受け取ってしまった。(勝手に)
だから、視えないけれどぼくの背中には、そういう背後霊が推定10万人は憑いているんじゃないかと思っている。

だからこそ、懸命に鍼灸を学ばなくてはならない。
学生の時分から、そんな事をよく思っていました。

誤解を招きそうで表現が難しいのですが、そういう先人たちが僕を導き、突き動かしてくれたような気がしています。

僕は、彼らの果たされなかった大志も、祈りも、無念も背負って鍼をしている。学び続けている、つもりです。

僕がこの社会で生きて、鍼をし続けるということ。
彼らが僕の中で生き続けるということ。
それが僕にできる、唯一の鎮魂であり、祈りだと思っています。

僕にできることは、それだけです。
僕は生涯、鍼を立て続けます。

立てる

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