医療者とダンディな男とは、お湯を入れて3分でできるようなものではない

「今日のおまえ……、ダンディだな」と神妙に言われたことがある。大学3年の真冬に、半ズボンで登校した際にもらったコメントである。

「ダンディ」という響きにはどこか「やせ我慢」とか、「TPOにそぐわない」といった嘲笑が含まれている。

で、ダンディズムってなんだろう。『ダンディズムの系譜』(著:中野香織)によると、

ダンディとは時代の趨勢に流されず、孤独に抵抗し続け、破滅を辞さぬ、愚かしい男である世間の価値判断にあわぬハンディを、傲慢でひとりよがりな態度でもってプラスに転じてしまう、ふてぶてしい「空気を読まない」男である。

なるほど。名文である。
これぞ、真のダンディズムといったところか。

ならばぜひ、鍼灸師としてダンディに、生きたい。

しかし、ダンディか。う~む…

河原燈観


・・・僕はダンディ度数0だな(笑)


思い起こせばそう。
僕が学んだ先生たちは皆、ダンディの塊のようであった。

僕は2005年に横田観風先生に出会い、安田無観先生には2007年に弟子入りした。両先生の治療を間近で見ることができたのは僕の人生の宝だ。

弟子は問う「僕たちには、ひとつの鍼、ひとつのもぐさ、それしかありません。こんな頼りない道具だけでどうして、人の病いを癒やすことなどできましょう」

師曰く「いいや。私たちには、ひとつの鍼、ひとつまみのもぐさがある。だから、それだけでいいんだ」

こういう問答を重ねる中で、僕の鍼灸師としてのバックボーンは形成されていった。

鍼灸からは逃げも隠れもしない。鍼灸の外へは一歩もでない。鍼で治せなかったものは、鍼で治せるように工夫し続ける。そうして、一鍼にかける覚悟を教わった。惚れ惚れとするような清々しさがあった。

いかにマーケティングし、宣伝を打ち、儲けるか。それが最大の話題である治療業界のなかで、愚直に技を磨き続ける師の姿は、まさに「破滅を辞さない」である。

世の趨勢に阿らない姿勢は、世間的には愚かしく見えるであろうし、僕にも理解しかねた。

でも、しびれるほど格好良かったのだ。

そんなダンディな男たちは、僕のようにダラダラとブログを書いたり、冗長に語ってくれることは、まずない。
質問をし、答えて頂けてもせいぜい「違う」くらいなものだ。手取り足取り、親切になんて教えてもらえない。でも、この不親切な教えが後々、熟成発酵して効いてくるのである。

遙か彼方に霞む、師の背中を追いかけていた。その背中に手が届くだろうか。成功できるだろうか、そんな事は度外視で駆け抜けてきた。がむしゃらな、恵まれた、幸せな歳月であった。20代の記憶である。師の背を追いかけた日から10年が過ぎ、ぼくは一端の鍼灸師となっていた。

現代ではじっくりと腰を据えて、何かを学ぶだけの社会的な余裕がなくなっている。僕の頃でそうであったのだから、現在では、その流れはさらに加速しているはずだ。

僕自身は恵まれた環境にあったから、批判もしづらいが、現代人が「明日から使える、○○を一発で治す方法」みたいな、表層的な物にしか反応できなくなっているのは悲しい。自動販売機のように、技術もコインを入れたら買えるものだと思っている。

このままでは本当に医の道は廃れ、人材も育たなくなっていくのではないか。そういう危惧がある一方、こうも思う。

時代の趨勢に流されず、孤独であってもひとり抵抗し続け、破滅をも辞さない、そんな愚かしい生き方をダンディズムと呼ぶのならば、それはなにも男性に限る生き方ではない。

男たちが軟弱になった今、むしろダンディズムは女性たちの中で育まれていく可能性だってある。

負けてはおられない。
ダンディ度数0%からの挑戦である。


それでは皆様よい週末をお過ごしください!

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