勉強会で使用した資料です。2017/03/26
未だ誰も訳して下さる方がおられないので、浅学であることを顧みず公開しました。諸兄による叱正、ご意見をお待ちしております。

鍼灸失伝論

 鍼灸失伝論は、徐霊胎の著書『醫學源流論』に記載された一節である。徐霊胎は宋代以降、哲学思想を医学に運用する傾向が強まるなか、漢唐医学への復古運動を展開した人物の代表格の一人として挙げられている。
  本文は徐霊胎の『医学源流論』からの抜粋である。清代の鍼治療がどのような状況になっており、何が問題であったのかが伺える点で貴重である。当時の鍼灸の一体、何がどのように失伝してしまっていたのか。その指摘には、現代にも通じるところがある。

 徐霊胎(1693-1771)名を大椿、号は洄渓老人、江蘇省呉紅出身。清代の医学者。終生、漢唐医學に傾倒し、宋明代の医学者を軽視した。
原文を訓読し、河原の語注などは( )で囲んだ。

訓読

 『霊枢』、『素問』の両経、其の臓腑、経穴、疾病等の説を詳らかに論ずる。針法の言となすは十の七、八。方薬の言となすは十の二、三。上古の針法を重んじるは此のごとし。然るに鍼の道は難くして方薬は易し。病者もまた服薬を楽とし、鍼は苦とす。後世に方薬が盛行し、針法は講せざる所以なり。

 今の鍼をなすものは、其の顕然と失えるに十有りて、精微は尚お、與(あず)からざるなり。両経の言う所には、十二経の出入、起始、浅深、左右、交錯すること斉しからず。其の穴は経の上下に随い、亦た参左(*1)して定まる無し。今の人は、祗(まさ)に同身寸に執る。左右一直に豎く量るに依り、並んで曲折を経るに依らず。則ち経は経に非ずして、穴は穴に非ず。此れ一失なり。

 *1参左…ふぞろい。入り混じる。

 両経、病いを治するに云う、某病は某穴を取るとは固より多し。其の餘まりは則ち経を指して、穴を指さず。『霊枢』終始篇第九に云うがごとく、「人迎一盛、足の少陽を瀉して、足の太陰を補う」。『霊枢』厥病篇第二十四に云う、厥頭痛、或いは「足の陽明、太陰に取る」。或いは「手の少陽」、「足の少陰に取る」。「耳聾は手の陽明に取る(*2)」。「溢乾は足の少陰に取る(*3)」、と。皆な某穴とは言わず。其の中に又た、子を瀉し母を補う等の義あり。今は則ち病いごとに幾穴と指定す。此れ二失なり。
*2、3にあるような文章は『霊枢』にはない。*2は「手の小指と次指の爪甲の上と肉交わる者に取る」とある。

 両経、治を論ずるに、井營兪経合を最も重んず。「冬は井を刺す」、「春は營を刺す」、「夏は輸を刺す」、「長夏は経を刺す」、「秋は合を刺す」、と。(『霊枢』順気一日分為四時篇第四十四)
凡そ只だ、某経をと言いて某穴とは言わず。大都(*4)は、皆な井營の五者を刺して言となす。今は則ち皆な講ぜず。此れ三失なり。

 *4大都…ほとんど多くは。

 補瀉の法、『内経』に云う、「吸すれば則ち鍼を内れ、気をして忤(さか)らわしむること無かれ。静にして以て久しく留め、邪をして布せしむること無かれ。吸すれば則ち鍼を転じ、気を得るを以て故となし、呼するを候いて鍼を引き、呼尽くせば乃ち去る(*5)。大気(*6)は皆な出づ。瀉となす」、「呼し尽くして鍼を内れ、静にして以て久しく留め、気の至るを以て故となす」。
 「吸するを候いて鍼を引けば、気出づることを得ず。各おの其の処に在りて、其の門を推闔(*7)して、神気をして存し、大気を留止せしむ。補となす」(『素問』離合真邪論第二十七)
又た必ず其の経気を迎え、疾に内れ徐に出す、其の痏を按ぜざれば瀉となす。
其の経気に随いて、徐に内れ疾に出す。即ち其の痏を按ずるは補となす。其の法は多端なり。
今は則ち鍼を転じるの時に、大指を以て推出するを瀉となし、搓入を補となす。此れ四失なり。
 *5…鍼を去る。 *6大気…邪気 *7推闔…

 鍼を納めた後に、必ず其の気を候う。実を刺すには、陰気隆んに至りて乃ち鍼を去る。虚を刺すには、陽気隆し至れば乃ち鍼を出す。「気至らざれば其の数を問うこと無かれ」。「気至れば則ちこれを去り、復た鍼する勿れ」と。『霊枢』九針十二原第一
『難経』に云う、「先ず左手を以て鍼する所を厭按し、弾いて之れを努まし、爪をして之れを下す。其の気の来たること、動脈状の如し。(鍼を)順にして之を刺して気を得る。因りて推して之れを内れる。是を補と謂う。動じて之れを伸ばす、是を瀉と謂う」(七十八難)
今は則ち、時々に転動し、針下が寛ぎ転ずるのを俟ちて、後に鍼を出す。気の至る、至らざるを問わず。此れ五失なり。

 凡そ鍼の深浅は、時に随いて同じからず。「春気は毛に在り。夏気は皮膚に在り。秋気は肌肉に在り。冬気は筋骨に在り」(『霊枢』終始篇第九)。故えに春夏は浅く刺し、秋冬は深く刺す。反すれば此れは害が有り。
今は則ち四時を論ぜず。分寸に各々定数あり。此れ六失なり。

 古えの用鍼には、凡そ瘧疾、傷寒、寒熱、欬嗽、一切の蔵府、七竅等の病で、治せざる所はない。今は則ち経脈、形体、痿痺屈伸などの病いを治するに止るのみ。此れ七失なり。

 古人の刺法は、血を取ること甚だ多し。『霊枢』血絡論(第三十九)の言は最も詳らかにして、頭痛、腰痛、尤も必ず其の血を大瀉す。凡そ血絡に邪あるものは、必ずこれを尽くし去る。若し血が射出して黒ければ、必ず変色せしむる。赤血を見れば止める。否すれば則ち病いは除かれずして反って害あり。
今の人は則ち、偶爾(*8)、血を見れば、病者も医者も已(は)なはだ惶恐(*9 こうきょう)して拠りどころを失う。病い何に由りて除かん。此れ八失なり。
 *8 偶爾…たまたま。 *9 惶恐(こうきょう)…おそれかしこまる。

 『内経』に刺法、九変十二節あり。九変とは輸刺、遠道刺、経刺、絡刺、分刺、大瀉刺、毛刺、巨刺、焠刺なり。十二節とは偶刺、報刺、恢刺、齊刺、揚刺、直針刺、輸刺、短刺、浮刺、陰刺、傍刺、贊刺なり。以上二十一法、病所を視て宜しくす。易く更(あらた)めるべからず。一法備わらざれば、則ち一病愈えず。今は則ち祇(まさ)に直刺一法のみ。此れ九失なり。

 古えの針制に九あり。鑱針、員針、鍉針、鋒針、鈹針、員利針、毫針、長針、大針なり。亦た病所に随いて宜しく用いる。其の製を一失すれば、則ち病いに應ぜず。
今は則ち大なるは員針のごとき、小なるは毫針のごときのみ。豈に能く痼疾、暴氣を治さんや?此れ十失なり。

 其の大端の失するや、已に此のごとくにして、其の尤とも要とするは、更らに神誌專一、手法精嚴に在り。
経に曰う、「神は秋毫(*10)に在り。意を病者に属す。審らかに血脈を視るものは、これを刺して殆きことなし」(『霊枢』九針十二原第一)。
又た云う、「経気已でに至れば、慎しんで守り失する勿かれ。深浅は志に在り。遠近一なるが若し。深淵に臨むがごとく、手は虎を握るがごとく、神、衆物より營むことなし」。(『素問』宝命全形論第二十五)
又た云う、「伏すること弩(*11)を横たうるが如く、起こすこと機(*12)を発するが如し」。其の專精敏妙なること此のごとしと。
 *10 秋毫 - 《秋に抜け替わった、 獣のきわめて細い毛の意から》きわめて小さいこと。微細なこと *11 弩…強力な弓。 *12 機…弩の発射装置。発動すると矢が迅速に発射される。

 今の医者は、手に随い針を下す。漫にして意を経ず、即ち針法を古えの如くせしむるに、志凝らずし機は達せず。猶お、恐れれば效無し。況んや全(今?)と古法と相背せんや。其の外更に先後の序あり。迎隨の異、貴賤の殊、労逸の分、肥瘦の度、多少の數、僕を更うるも窮めること難し(*13)。果たして能く潜心し、体を察すれば、以て聖なる度に合す。必ず神功あり。

 *13 更僕難窮…いくら時間があっても足りない。

 其れ人は難を畏れ易きに就くが如くにして、盡く古法に違う。世が針を甚だ軽く視て、其の術も亦た、甚だ行わざるる所以なり。灸の一法の如きは、則ち針の病を治する所に較ぶれば、十の一二に過ぎず。針の理を知れば、則ち灸も又た易易のみ。

 まとめるとこうなる。

 【伝の十失】
①経絡の流注には出入、起始、浅深があり、不揃いである。今の人は杓子定規にしか経絡を見ていない。
②経穴ばかりを見て、経絡を見ない。
③井滎兪経合を論じない。
④補寫の法が廃れた。
⑤気の至る事を問題としない。
⑥季節による変化を考慮しない。
⑦臓腑病や五官の病を治せなくなった。
⑧刺絡を恐れて行わない。
⑨刺法のバリエーションが失われた。
⑩九鍼には各々の特徴があるのだが、活用されなくなった。

これは現代においても、大いに通じるところがある。大切なのは時と場合と相手に合わせて鍼なり灸をすることにあるが、その具体的内容としては補寫であったり、五輸穴の運用であったり、多岐に渡り単純ではない。

参考
『徐靈胎醫書全集』増批:江忍庵 校勘:林直清 五州出版社
『中医伝統流派の系譜』著:黄煌 訳:柴崎瑛子 東洋学術出版社
『現代語訳黄帝内経素問』編者:南京中医学院 監訳:石田秀実 訳:島崎隆二他 東洋学術出版社
『現代語訳黄帝内経霊枢』編者:南京中医学院 監訳:石田秀実 白杉悦男 東洋学術出版社

原文

霊素両経、其詳論藏府経穴疾病等説。為針法言者、十之七八;為方薬言者、十之二三。上古之重針法如此、然針道難而方薬易、病者亦薬於服薬而苦於針、所以後世方薬盛行、而針法不講。今之為針者、其顯然之失有十、而精微尚不與焉。両経所言十二経之出入起止浅深左右、交錯不齊、其穴隨経上下、亦参差無定。今人祇執同身寸依左右一直豎量、並不依経曲折、則経非経而穴非穴、此一失也。

両経治病云、某病取某穴者固多、其餘則指経而不指穴。如『霊枢』終始篇云、人迎一盛、瀉足少陽、補足太陰。厥病篇云、厥頭痛、或取足陽明太陰、或取手少陽足少陰;耳聾取手陽明;嗌乾取足少陰、皆不言某穴、其中又有瀉子補母等義。今則每病指定幾穴、此二失也。

両経論治井營輸経合最重、冬刺井、春刺營、夏刺輸、長夏刺経、秋刺合、凡只言某経而不言某穴者、大都皆指井營五者為言。今則皆不講矣、此三失也。

補瀉之法、『内経』云、吸則内針、無令気忤;静以久留、無令邪布。吸則転針、以得気為故;候呼引針、呼盡乃去、大気皆出為瀉。呼盡内針、静以久留、以気至為故;候吸引針、気不得出、各在其処、推闔其門、令神気存、大気留止為補。又必迎其経気、疾内而徐出、不按其痏為瀉、隨其経気、徐内而疾出、即按其痏為補、其法多端。今則転針之時、以大指推出為瀉、搓入為補、此四失也。

納針之後、必候其気。刺実者、陰気隆至乃去針;刺虚者、陽気隆至乃出針。気不至無問其数、気至即去之勿復針。『難経』云、先以左手壓按所針之処、弾而努之、爪而下之。其気來如動脈之狀、順而刺之、得気因而推内之、是謂補;動而伸之、是謂瀉。今則時時転動、俟針下寬転、而後出針、不問気之至與不至、此五失也。

凡針之深浅隨時不同、春気在毛、夏気在皮膚、秋気在肌肉、冬気在筋骨。故春夏刺浅、秋冬刺深、反此有害。今則不論四時、分寸各有定数、此六失也。

古之用針、凡瘧疾傷寒寒熱咳嗽、一切藏府七竅等病、無所不治。今則止治経脈形体痿痺屈伸等病而已、此七失也。

古人刺法、取血甚多、『霊枢』血絡論言之最詳。而頭痛腰痛、尤必大瀉其血。凡血絡有邪者、必盡去之。若血射出而黑、必令変色、見赤血而止、否則病不除而反有害。今人則偶爾見血病者、醫者已惶恐失據、病何由除?此八失也。

『内経』刺法有九変十二節。九変者、輸刺、遠道刺、経刺、絡刺、分刺、大瀉刺、毛刺、巨刺、焠刺。十二節者、偶刺、報刺、恢刺、齊刺、揚刺、直針刺、輸刺、短刺、浮刺、陰刺、傍刺、贊刺。以上二十一法視病所宜、不可更易。一法不備、則一病不愈。今則祇直刺一法、此九失也。

古之針制有九、鑱針、員針、鍉針、鋒針、鈹針、員利針、毫針、長針、大針、亦隨病所宜而用。一失其製、則病不応。今則大者如員針、小者如毫針而已、豈能治痼疾暴気。此十失也。

其大端之失已如此、而其尤要者、更在神誌專一、手法精嚴。経云、神在秋毫、属意病者、審視血脈、刺之無殆。又云、経気已至、慎守勿失、深浅在志、遠近若一、如臨深淵、手如握虎、神無營於衆物。又云、伏如橫弩、起如発機。其專精敏妙如此。今之醫者、隨手下針、漫不経意、即使針法如古、志不凝而機不達、猶恐無效、況乎全與古法相背乎。其外更有先後之序、迎隨之異、貴賤之殊、労逸之分、肥瘦之度、多少之数、更僕難窮。果能潜心体察、以合聖度、必有神功。其如人之畏難就易、盡違古法、所以世之視針甚輕、而其術亦不甚行也。若灸之一法、則較之針所治之病、不過十之一二。知針之理、則灸又易易耳。