食×息×動の調和

「食・息・動の調和」という考え方は養生を考える上で非常に便利です。
食養なら食養だけ、運動なら運動だけといった方を多く見かけます。ひとつの方法に固執してしまえば、それもひとつの不養生です。効率的にもよくありません。

「なにを食べたらいいですか?」とよく聞かれますが、そもそも現代人は絶対的に運動量が不足しています。良い食事だけを摂っていれば健康が得られるというのは幻想に近いものがあります。伝説の名医華陀も、人間には適度な労働が必要であると説き、基本としていました。現代人にも当てはまることです。(*1)
また、運命の吉凶と食事との関連に注目した人物に、観相家の水野南北がいます。南北は「粗食でも食べ過ぎれば大凶」と述べ、食養の落とし穴を指摘しています。

食事と運動量の問題を切り離して考えるべきではありません。改めて述べるほどの事でもない気がするのですが、あえて、言わねばならない程、極端な言説がまかり通っています。

食事には気がまわって、運動には気が行かない。
運動はよくするけど、食事には無頓着。
運動も食事も気を付けるけど、こころのことには興味がない。
こころには関心があるけど、からだには興味がない。

健康について無頓着でもいけませんし、こだわりが強すぎてもいけません。
こだわりが強い時の呼吸はきっと浅く、乱れています。呼吸は自ずと深く、長く、細く、緩やかで均等であることが大切です。「息」とは「いき」であり、「生」につながります。

肉体という粗大なレベルでの調和が実現することで初めて、こころという、より微細なレベルでの調和の足がかりがつかめます。こころと肉体を繋ぐものは「息」であり、いい呼吸をするためには、食と動の調和が必要となってきます。


*1 華陀の五禽戯
人の身体は適度に労働をすることが好ましい。だから、やり過ぎは禁物なのだ。身体を動かすことで消化が促され、気血の流れもよくなり、病気になることがない。例え引き戸には虫がつかず朽ちることがないのと同じだ。だからいにしえの仙人たちは導引を良くしたものだ。熊のように前足で木によりかかり直立して呼吸(または樹にぶら下がる)、酉のように首をよく動かし、鋸を挽くように腰を動かし、全身の関節を動かすのだ。そうすれば老いることがない。
『後漢書』方術列伝
「佗語普曰:人體欲得勞動,但不當使極耳。動搖則穀氣得銷,血脈流通,病不得生,譬猶戶樞,終不朽也。是以古之仙者為導引之事,熊經鴟顧,引挽腰體,動諸關節,以求難老・・・」