病院での治療一択は辛い昨今、代替医療が注目されています。現代医学の行き詰まりと共に、病院での治療の他にもうひとつくらい選択枝が欲しいという願いの現れなのかもしれません。それで「現代医療+〇〇」という問題が生じてきます。〇〇の所に何を選ぶかはそれぞれなので整体やカイロ、気功、なんでもいいです。いずれにせよこの身を預けるのであれば信頼が置ける確かなものにしたいと思うのは人情でしょう。何に信頼を置くかは人それぞれですが、私の場合はそれが鍼灸でした。どのような治療法であれ、結局のところ施術をするのは人間です。どのような治療をするかは大事です。ですが、施術をする人間がなにを考えているのか、なにを見ているのかが、とても重要だと私は思います。そのため私の思考をここで開示しています。現代医学に欠けた部分をいかにして補っていくか。ひとつの提言です。主観的で、直観的で、経験的なものを土台とする私たちの生活からは東洋的なものが失われています。唐突ですが例えば服装です。私たちはいま洋服を着ていることに疑問を感じることはありません。ですが、私たちの先祖は着物であったことを思えば、この変化を実感しやすいかと思い挙げました。どこかでなにかが決定的に変わってしまったのです。明治維新の頃、ヨーロッパの憲法や軍隊、教育や医学の形式を輸入し模倣することで近代日本は作られてきました。私たちが和服を捨て、洋服を着るのが常識となったように、ものの見え方や考え方、常識までもがこの頃から西洋式に変わっています。医学も西洋式がスタンダートとなり、それまで主流であった漢方・鍼灸は退けられました。鍼や灸は非科学的で野蛮なものとして退けられ、苦難の歴史を歩むこととなります。さて。現代を生きる鍼灸師は東洋医学のさわりを一応専門学校で習いますが、前提として現代人です。江戸時代ではありません。現代教育の中で育まれた常識と教育のなかで鍼をします。つまり客観的で、理性的で、科学的に合理性のあるものが優れるという常識の中でです。それは確かに正しさの一形態ではあるのですが、細かく考えているうちに命の本当の所がわからなくなっています。東洋医学は真逆です。主観的で、直観的で、経験的なものが土台にあります。現代科学においてはエビデンスゼロ、価値がないものとして排除されたものばかりです。そういう知は学校では与えられません。というか教えられる人がほとんどいません。先述の通り、ごく論理的で常識的なこと、国家試験対策程度のことしか教えることができていません。肩が痛いから肩に鍼をして、生理痛だから三陰交にお灸をする。その程度です。その程度の鍼灸治療で良くなる人はそれでいいです。それでだめな人たちも大勢いるのですが、「鍼は一度試してだめだったからもういい」と思っている。それはもったいない。そんな方はぜひ誠花堂へ来てください。なんでも治せる等とはいいませんが、お役に立てることがあるかもしれません。