夜、宇宙からみた私たちの世界です。街の光が煌々として、都市生活の有り様をよく捉えられています。Astronomy Picture of the Day日本列島が明るく輝いています。これだけ輪郭がはっきり見えるのは、それだけ電灯が多いということです。「月のない夜には気をつけろよ」といった捨てセリフがありますが、過去の時代の名残を感じます。これだけ明かるいとピンとこない人もいるでしょう。明るくてありがたいですが、一方で明るすぎる面もあります。屋内の照明はかつて、ずっとずっと暗かったはずです。例えばお寺にいけば昔の様式が残っているため、そのことを実感できると思います。横田観風師が毎月主催される鍼灸の合宿に、私は7年ほど参加させて頂きました。そこでは日中は明かりをつけません。それが繊細な感覚を養うために意味があったと思っています。都会と比べ周囲の騒音が少なく、様々な音が聞こえてきます。虫の音、風の音、鳥のささやき、草を刈る音。様々な音のハーモニーが重なり合って心地いい。草木の香り、畳の香り、台所から漂う昼食の香り。眼には見えませんが、音や香りの「密度」がまったく異なります。外で作務をして汗をかいた後に飲む、単なる水が旨い。日陰で旬な果物を剥いて皆で頂く時間が最高です。時の流れさえゆったりと感じる。*私は都会のもやしっ子なので草刈り2時間で倒れます。*伐採した木を燃やしてます。*昼は精進料理です。私たちの祖先は長い間ずっと、こういう暮らしをしていたはずです。いかに自然から遠い生活をしていたのかを気づかされました。文明器具に頼りすぎると、わたしたちの原始感覚が鈍くなります。そのくせ目・耳・鼻の機能は乱れて過敏症や機能不全を引き起こしたり神経系の混乱を引き起こしやすくなっています。不調にでもならない限りは、その事に気づくチャンスはなかなかありません。大変革の時代を生きている700万年におよぶ人類の生活史において、ここ100年ほどの変化は劇的です。特に19世紀の産業革命以降の変化、昨今のIT社会化は歴史的な転換点であったといえます。例えば交通機関の発達によって私たちの移動は容易になりましたが、同時に足腰を弱くしました。喜ぶべき事ではありますが、水汲みや手洗い洗濯などの重労働もありません。古代中国では「富貴の病」という王侯貴族だけがかかる病気がありましたが、現代では一般庶民でもかかります。これは労働せず美食ばかりしているとかかる病であり、なにを隠そう糖尿病のことです。一部の特権階級だけの病気であった富貴の病ですが、現代では誰でもかかります。私たちは狩りも田植えもせずに、Uberで唐揚げを食べたりすることができます。こんなことは人類の生活史において普通ではありません。人類のDNAは10000年前から変わっていません。しかし、私たちの生活は産業革命後に激変しました。さらにこの20年で社会は急速にIT化し、生活はさらに激変しています。9900年間は人類にとって当たり前(ノーマル)だったことが、たった100年、20年で覆されている。長い人類史から見たら非常にアブノーマルな生活を私たちはしています。だからあらゆる現代病のベースには、この激変への適応障害があると言えなくはない。というか、適応できなくても当然だとわたしは思っています。現代生活では病気にならないほうがむしろおかしいくらいです。理由などあげればキリがないくらい害悪の原因は沢山あります。残念ながらそういう時代を私たちやその子供たちはタフに生きてゆかねばなりません。「健康のノウハウ」も大切ですが、そもそも私たちがいまどういう時代を生きているのかを理解しておくことは意外と大切だと伝えたくて、この文章を書きました。「なにをしたらいいのか」は、自分自身を知らねば始まりません。根源的すぎるかもしれないけれど、私たち人類の原初の生活がどうであったのかを知ること、忘れないこと。その一つのワークとして「日中は明かりをすぐつけないで暮らす」をやってみてください。なにか発見があるかもしれません。電気代も浮きます!