「誠花堂はこんな感じだよ」と等身大の姿を伝えたいと思い、少々オーバーなタイトル表現を使いました。誠花堂はどんな感じだろう?と皆さん吟味されていることと思います。間違って出会ってしまうのはお互いに不幸なことです。そういう事が極力起きないように、嘘や過剰なことは言っていません。よく吟味してからお越し頂きたいので、半額キャンペーン等で無理に引き込む事もしていません。世間で思われているよりも遥かに鍼灸は素晴らしい治療法ですが、かといってなんでも治せるわけではありません。なかなか鍼灸を等身大のまま知って貰うのには説明を要するところがあります。多少、紆余曲折をしますが、最初にお読みいただけたら幸いです。お裾分け~神秘なる東洋医学の世界子どもの頃に見たテレビで「神秘の東洋医学。」といった趣の番組を目にしたことがあります。怪しい雰囲気のなか、人に針をさしたり、血を抜いたり、、、世にもおぞましい映像でした。ところがそんな治療でなんでも治ってしまう、これぞ東洋の神秘!…という今思えば大げさな構成でした。ですが、それだけに興味を惹かれました。古代人は機械も使わずに公転周期や、月までの距離を正確に把握していたといいます。それだけの叡智が医学にも向けられていたのであれば、現代人もまだ知らない知恵があるに違いない。「そんな素晴らしいものがあるなら、ぜひわが家にも欲しい」子どもながらにそう思う一方、あまりに遠い世界です。やがて、番組の記憶は薄れていきました。この辺りがわたしの東洋医学に関する原初の記憶です。ここからは長くなるので話を省略しますが、紆余曲折を経て数十年、気付けば私はそのおぞましい世界の住人となっていました。家族や友人の役に立ちたくてこの世界に入ったのですが、せっかくなので誠花堂という場を設けて、世間にもおすそ分けしている。わたしの仕事をそう表現することもできます。怪しい雰囲気を再現病院での治療一択は辛い昨今、代替医療が注目されています。現代医学の行き詰まりと共に、病院での治療の他にもうひとつくらい選択枝が欲しいという願いの現れなのかもしれません。それで「現代医療+〇〇」という問題が生じてきます。〇〇の所に何を選ぶかはそれぞれなので整体やカイロ、気功、なんでもいいです。いずれにせよこの身を預けるのであれば信頼が置ける確かなものにしたいと思うのは人情でしょう。何に信頼を置くかは人それぞれですが、私の場合はそれが鍼灸でした。どのような治療法であれ、結局のところ施術をするのは人間です。どのような治療をするかも大事ですが、施術をする人間がなにを考えているのか、なにを見ているのかはとても重要だと私は思います。そのため私の思考をここで開示しています。わたしがしてきたこと私は鍼灸を専門としています。鍼灸には2000年以上の歴史の積み重ねがあると知り、この世界に飛び込みました。そしてどうせなら伝統ある学校で学び、良い師匠に付きたいと願い、実際にそのようにしてきました。幸いなことに新卒の早い段階から現場に立たせてもらい、様々な体験をさせて頂きました。並行して学問も深め仲間と夜な夜な切磋琢磨する。師のもとに赴いては問答をさせて頂く。20代の頃は、寝ても覚めて鍼灸のことばかり考えて過ごす毎日です。若者らしい遊びをした記憶はあまりありませんが、恵まれた歳月でした。そうして学び得たもので人を活かし活かされる。初心を忘れず生きていきたいと思っています。人が人にするということプロなので技術や知識はあって当然ですが、その技術者が一体なにを誰にどう学び、どう生きてきたかということは施術全般に影響します。つまり治療のスタンス、料金設定に至るすべてに及んでいます。こういう説明をわざわざしているのかというと、ひとつに誠花堂の世界観(価値観や健康観)が世間一般からズレていると感じるからです。他の鍼灸院と比較してもかなり差があると思います。主観的で、直観的で、経験的なものを土台とする私たちの生活からは東洋的なものが失われています。例えば服装です。私たちはいま洋服を着ていることに疑問を感じることはありませんが、私たちの先祖は着物が主体でした。どこかでなにかが決定的に変わってしまったのです。明治維新の頃、ヨーロッパの憲法や軍隊、教育や医学の形式を輸入し模倣することで近代日本は作られてきました。私たちが和服を捨て、洋服を着るのが常識となったように、ものの見え方や考え方、常識までもがこの頃から西洋式に変わっています。この頃から鍼灸・漢方は非科学的で野蛮なものとして退けられ、苦難の歴史を歩むこととなります。さて。現代鍼灸師は現代人です。現代教育の中で育まれた常識のなかで鍼をします。つまり客観的で、理性的で、科学的に合理性のあるものが優れるという常識の中でです。本来、東洋医学は真逆です。主観的で、直観的で、経験的なものが土台にあります。現代科学においてはエビデンスゼロ、価値がないものとして排除されたものばかりです。学校でのテストや受験に慣れた私たちは普通「正解はひとつ」と考えがちですが、現実には答えなんて複数ありえます。治れば正解だとしても、治るまでの方法がいくつもある。教科書的にはお灸は炎症性疾患には不適応という事になっていますが、お灸で炎症を治めるということをお灸の名人たちは昔からしてきました。こうなってくるともうやりようです。「正しい方法」なんてあってないようなものなのです。名人が集まり病気の見立てをしても全員同じになることがないのがこの世界です。科学からすると「客観性がない。だからダメなんだ」という話になります。でもそうではないのです。東洋医学は現実に近い。科学は現実から、実際から離れすぎています。言い出したら切りがないのでこのくらいにしておきます。常識の外で戦いたいこのように、現代人の常識は西洋式の教育のなかで育まれた常識であり、東洋医学の世界観とはまったく異なります。エビデンスに則った医療こそが正義という世の中になっています。それはそれで結構なことです。ただ、”そっち側”ではどうにもならない人たちが東洋医学に賭けているのだから、誠花堂はそういった権威に寄りかかるのではなく、むしろエビデンスや常識、アカデミズムの外で戦いたい。現状を打破したいのであれば、まずは認識を変えてゆくことです。それは私自身にもいえることです。革新し続けていきたい。よりよい治療のために。長くなりましたが、誠花堂はこういう鍼灸院です。ピックアップコラム、原因不明・気のせい・年のせいに続きます。