よく、不調の原因を「ストレスのせい」「冷えたから」などと言ったりしますが、人の不調は、いくつもの要因が絡まりあって成り立っています。やまいは複合的言い出したらキリがないのですが、不調の原因を考えるときに、例えばこのような要因が考えられます。ただし、後で述べますがこれらが単独で影響するというよりは、複合的に重なり合うことで大きな不調を生み出すと考えた方が良いです。・DNAによる遺伝的な問題・年齢、性別、人種や風土による要素・生活の不摂生・欧米化・その職業に特有の負担や過労・住・労働環境から受ける影響・人工化合物や電磁波、放射能・ウィルスや細菌などによる感染症・気候・気温・自然環境によるもの・怒り、悲しみ、恐れなどの精神的な影響・偏った体の使い方、物事の捉え方の問題・間違った健康法運動不足で座りすぎの生活、人工的な生活環境、目を酷使する生活、飽食の一般化などは、これまでの人類が遭遇してこなかった現代特有の問題です(アブノーマルな私たちの暮らし)。こういった事も不調の素地にあるといえます。そのため、やまいとは一個人の身に起こる個人的なものではありますが、時代的、社会的な現象であるという面もあります。これらが複数、重なりあって不調は現れます。逆にいえば、なにかひとつの原因で健康が壊れるということは、それほど多くないといえます。例えば事故による外傷や、強烈な感染症、PTSDになるようなつらい体験などがあげられます。あまりに強い刺激が加わることで一気に心身を壊してしまうケースです。それとて、罹患する人としない人がいます。なぜなら、ベースとなる体質やほかの条件が異なるからです。やまいは2つとない個性的なものこのように見ていくと、やまいはストレスのせいだとか、年のせいだとかいう説明がいかに雑で、解像度が低いものであるかが理解できると思います。先天的な病いはともかくとして、多くのやまいは、ある意味でその人自身そのもののと言えなくもない部分もあります。それを憎んだり恥と思うのか、愛すべきものと思うかはそれぞれですが、「やまいとは因縁症である」といわれるのは理由のないことではないのです。わたしは因縁とは”関係性”だと思っています。人は人との繋がりのなかで存在しています。もっといえば気象や風土からの影響、食物や水質の影響など、言い出したらきりがありません。そういった無数にある関係性のなかから答えを探る訳ですが、所詮は人間なので限界もあります。やまいの意味時代やその社会の文化によって、健康や病いをどのように捉えるのかにはかなりの違いがあります。生命観、疾病観は世界共通のものではなく、また万古不変のものでもありません。ここではもう説明しきれないので別項に譲りますが、このことは殊の外、大きな意味をもつことがあります。やまいとは複雑で、巧妙で、人知で解き明かしにくいものです。突き詰めていくと、やまいとは人間を知ることでもあるからです。また、時にやまいを得ることで、世界の見え方が良い形へ変わる事さえあります。だから、全人的なケアが求められる現代において、誠花堂は広い視点を持ちつつ、考え続けたい。そう思っています。